謙虚とは自己否定することではない
- 謙虚になろうとして自己否定してしまう罠
- 自己肯定感が高まるとわがままになって嫌われる?
- 謙虚とは自分の能力を否定することではない
- 自分の能力を認めつつも謙虚な姿勢とは
- 自分が人よりできる事を認められない理由
- 【自己肯定感の攻略本】で理想の自分に今からでもなれる!!!!
こんちはーーーーーーッッッ!!!!!鈴木萌子ですーーーーーーッッッ!!!
自己肯定感クエスト進めてますか?
進めてるけど「自己肯定感が高くなったら謙虚じゃなくなってしまうのでは…?」「自己肯定感が高くなったら、自分勝手に振舞うようになってみんなから嫌われてしまうのでは…?」って不安に苛まれる夜もあるかもしれませんね。
あるあるあるあるですね。
この記事では、謙虚とはどういうものなのか?自己肯定感が高まると自分勝手な奴になってしまうのか?についてお話ししときましょう。
謙虚になろうとして自己否定してしまう罠
「自己肯定感が高まると謙虚じゃなくなってしまうのでは…?」
って不安がある人の謙虚とは、自己否定です。
自己否定までいかなくとも、
「自分の能力を認めないことや、過小評価することが謙虚ということだ」
と思っているんじゃないですか?
過去の私なんですがね(笑)
過去の私は、
“自分のある能力と人のそれを比べて、自分の方が高い”
ということを認めることができませんでした。
たとえそれが客観的事実であったとしても、
「“自分と人を比べて、自分が上”ということを認めることは、傲慢で不遜なことだ!!!!!」
と思っていた訳です。
そして、自分の能力を否定したり過小評価したりしていたのです。
人とうまくやっていきたくて自己否定する…。
罠です!!!!!!!
自己肯定感クエストの罠です!!!!!!!!
じゃあ実際の所、自己肯定感を高めて自分の能力を認めたら、謙虚さが消えてわがままな人間になってしまうのでしょうか?
自己肯定感が高まるとわがままになって嫌われる?
“自己肯定感”という単語をググってみると
「自己肯定感 高い デメリット」
「自己肯定感 高い うざい」
とかって組み合わせがサジェストされます。
「 自己肯定感が大事大事言うけど、自己肯定感が高いってあいつみたいなことだろ?」の“あいつ”セレクトを完全に間違えた結果、「自己肯定感が高まるとあいつみたいになってしまう!!!!」という不安に襲われ、こういうワードで検索していると推察します。
「そもそも自分という存在はとても身勝手でわがままな欲望を抱えていて、それを常に否定していなければその欲望が暴走してしまって(“あいつ”みたいに!!!)、周りの人間から嫌われてしまう」
という自分観ですね。
「ありのままの自分は人から嫌われる」という訳です。
ありのーーーーーーままのーーーーーーー姿見せた瞬間に迫害されるのーーーーよーーーーーー♪
という訳です。*1
自己否定で自分を縛り付けていないと不安な訳です。
これ、逆なんですよ。
ありのままの自分がしたい事を「そんなことは別にしなくてもいいことだ」「自分がしたいって理由だけでしてはいけない」って否定するから、人に頭下げれないし、感謝もできないんです。
人に頭下げたり感謝せずに自分のしたい事する=わがまま
ってことです。
だってそうですよね。
自分がしたい事しようとした時に、「そんなことは別にしなくてもいいことだ」「自分がしたいって理由だけでしてはいけない」とかって自分で自分を責めまくってたら、もう人に頭下げて「これやりたいから協力して」ってお願いする気力残ってませんよ。
そもそも“自分のしたい事する=罪”って意識だから、堂々と人にお願いして自分のしたい事やるなんてできないですよね。
人の目を盗んで、
はっきり言葉にしてお願いしないまま、
なんとなく、
言い訳しながら、
楽しい気持ちをセーブしながら
やるしかない。
そんな姿勢でしたい事しても、全然楽しくない。
楽しくないから、自分がしたい事するために世話になった人にお礼も言えない。
まして、誰かから「あなたがしたい事をした結果、困ったから、次からはこうして欲しい」なんか言われたら…?
逆なんですよ。
意味がなかろうが、
金と時間の無駄だろうが、
人から「えーそんなことして楽しい?」と言われようが、
自分がしたい事を自分で否定せず「やりたいからやる!!!!!!!!」とやれるから、やりたいことに責任持てるんです。
やりたいことに責任持つってのは、
(必要なら)人に頭下げて頼むし、
120%楽しむし、
世話になった人に「ありがとう!!!!おかげでめっっっっちゃ楽しかった!!!」とお礼も言うし、
誰かから「迷惑だった」と言われたら謝る
ってことです。
全部、自分がやりたいし、楽しいからできるんです。
やりたくないし、楽しくないことに責任なんて持てないんですよ。
だから、「自己肯定感が高くなったらあいつみたいになってしまう!」の“あいつ”は、多分自己肯定感高くないし、周りに迷惑かけまくってやってる“ソレ”を全然楽しめてないですよ。
自己肯定感が高くなって、やりたいことをするようになったらわがままになる
のではなく、
自己肯定感が低くて、やりたいことを思いっきりしていないからわがままになる
んです。
謙虚とは自分の能力を否定することではない
じゃあ謙虚に関してはどうでしょうか?
自己肯定感が高くなって、自分のことを認めるようになったら謙虚ではなくなってしまうのでしょうか?
そもそも、謙虚であるとはどういうことなんでしょうか?
「すごいですね」
って言われて
「そんなことないです」
って相手の好意を受け取り拒否するのが謙虚ではないんです。
自分の能力を
「こんなものはできるうちに入らない」
「上には上がいるから大したことない」
と否定したり過小評価することが謙虚ではないんですよ。
自分の能力を認めつつも謙虚な姿勢とは
自分の能力を認めつつ謙虚な姿勢ってのは、
「自分はあれやこれが人より得意だけど、自分一人でできることなんかたかが知れてるから、どうか自分に協力してください」
って姿勢です。
能力(とか肩書きとか容姿とか、人と比べられる要素)ってのはオプションなんです。
それができないから、その人の価値が下がる訳でないのと同様、
それができるからって、その人の価値が上がる訳ではないんです。
全ての人は存在してるだけで、価値があるんです。
その価値に比べたら、何かが人よりできたりできなかったりの価値なんていうのは、誤差の範囲です。
どれだけ能力が高くても、人一人ができることなんてたかが知れてるし、人は一人では生きていけないんです。
それを知っている事が謙虚であるという事です。
人は一人では生きていけないって、単なるきれいごとではないですよ。
実際、自分の生活がどれだけの人の手によって支えられているか。
あなたがどくさいスイッチを連打しまくって、今この瞬間、世界に自分以外誰もいなくなってしまったとしましょうよ。
インフラ停止、食料枯渇…マジで割とすぐ死ぬと思います。
仕事だってそうですよね。
ある人がどれだけ有能だったとしても、1人でできることには限界があるんです。
自分が人よりできる事を認められない理由
結局の所、何故自分のある能力が人より高い事を認められないのかと言えば、
「自分のある能力が、人より優れているという事はとてもすごいことだ」
「この能力がないという事はダメなことだ」
と思っているからなんです。
「この能力が高い事はとてもすごい事で、この能力が低い事はとてもヤバい事だ」
という価値観があるからこそ、
「自分がその能力が高い事を認めてしまったら傲慢だ」
ということになるのです。
結局、内心、その能力のあるなしで人をジャッジしてんですね。
その能力の低い他人を「うわーーーダメだなーー」とジャッジしていることに気付き、
その能力の高い他人を「うわーーーすごすぎるわー自分とは違うーーー」とジャッジしていることに気付き、
ジャッジを減らしていけば
「あ、別にこの能力が高いとか低いとか、そんなことで人の価値は変わんねーな」
ということに気付きます。
そうすれば、自分がその能力が高い事をサラッと認められるようになるのです。
結論:ジャッジをやめよう
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*1:実際彼女は迫害されてましたけど、最終的にありのままの自分で周りと調和する所までもっていきましたね。